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あなたはどこから来たのか?を情報と思考グセを排除した「自分」で考える

あなたはどこから来たのか?

あなたはどんな風に応えるだろうか。


地域、環境、生い立ち、あらゆる影響により
あなた自身の考えを知るのには時間がかかるかもしれない。

考え抜いて考え抜いた自分の意見ならともかく、
思い浮かぶのは何かに影響されているということをまず疑う必要がある。

確信があったとしてもまずは疑う


相当な聖人的な人でなければ疑うことから始めた方がいい。
今のあなたの考えはアラユル情報を通してあなたから生まれ出て、思い込んでいるだけかもしれないから。

もちろん本当のことがそこにあるかもしれない人もいるだろう。
でもそういう人達が大多数であるのだったら、世界はもっと平和になっているはずだ。


子どもでも大人でも思考グセがついているから、それに気づいて紐解く必要がある。

目次

子どもの頃の感覚


こどもの頃から「感じていた」感覚があるとして、
それが成長するにつれ同じ思想に出会って見事に開花する。
そんなことが多くの人に訪れる。

そうしていくうちに自分が「感じていた」それは確信となる。
本や人など仲間を見つけて幸せを感じたりする。
子どもの頃ならより狭い世界を。

子どもの頃に感じていたものは大事で、時に信ぴょう性が高い。
しかし、その自分自身への信頼さえも実は間違っているかもしれない、ことがある。

それは誰かの意見や科学的に崩されたりする。

大人にするとある自分の考えや思想に傾倒して、中々固まりきった考えを動かすのは難しくなる。

だから柔軟な思考術が必要だ。


教育と洗脳は紙一重

大きな視点をもつ

何ものかに捉われないように、思考を柔軟に保つには大きな視点を持つことが役に立つ。

最近では「抽象度の高い視点」と呼ばれたりする。

私の場合は子どもの頃から基準が地球と宇宙だった。
それは今も変わらない。

ハッブル宇宙望遠鏡が映す無数の銀河の写真には心が躍った。
それは自分にとってバイブルとなったが、その写真、というかその無数の銀河自体が存在しないかもしれないという話を聞いたときは大きな衝撃だった。

確かにそれは作られたもの言われたら確かめようがない。
そんな遠くの銀河を見る技術が自分にはないからだ。

しかし、それはねつ造という意味ではなく、「今」この時点で存在しているかわからないという意味を含めたものだった。

そう、科学技術で見られる写真集は、実際に自分が見たものではない。
ビッグバンやらひも理論やら自分で確かめたわけではない。


しかし、考えることをやめられないのが人間である。


例えば、
子ども、大人、男、女は「人間」という視点。
クッキー、おせんべい、チョコ、ポテトチップスは「お菓子」という視点。
パソコン、スマホ、テレビ、タブレットは「電子機器」という視点。

これをもっと進めれば
人間=生命体
お菓子=食べ物
電子機器=機械、無機物


逆に細分化して考えるのも面白いと思う。


そういうわけで、
子どものころは何か辛いことがあれば、
宇宙のことを考えればいいのにと世の人々を見ていた。

与えられる情報社会と考える古代ギリシャ


現代の情報溢れる世界とは対照的な古代ギリシャで、「ものは何でできているか」という議論がされ人々は考えた。

古代ギリシャ哲学者 

タレス「万物の根源は水でできている」

ヘラクレイトス
「万物の根源は火」

デモクレイトス
「万物の根源は等質普遍の原子」


だから情報のない、あなた以外から来た情報を除いて
あなた自身が体験したこと、見ることを通して
「あなたはどこから来たのか」
を考える必要がある。


特に大人は既に自分のものだと思っている感覚にクセがあるから、そのクセに気づく必要がある。

別に間違っていても良い。
間違っているから今の世界がある。

それでも思考し続け改善すること。
それが人間の進化に繋がると思う。




ちなみに、自分の場合
「あなたはどこから来たのか」については

精神と物質と氣と魂という概念が混ざったものから発生していると今のところは考えている。
来ている?というより何者か?という問いに近いかもしれない。




追伸
もちろん世の理を確信しているという仏陀(目覚めた人)もいると思う。

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