何の情報もない世界で、生命は「魂」という概念を見つけるか

「魂」という言葉

 

 

ゆく川の流れは絶えずして、もとの水にあらず

 

 

「魂」という言葉を聞けば、誰もが見えないそれを大体同じように想像する。
(とかく日本で通じる)

世界にもその言葉は存在し、ある種の認識の仕方がある。

 

フランス語 âme    英語   soul

ラテン語 animus ギリシャ語 ψυχή(プシュケー)

 

思想や宗教により同じでないとはいえ、誰もが口にする、想像できるその「魂」とは何か?

 

 

私が今それについて何も見ずに答えると、

 

何かわからないが、生命にとって大事なもの

精神を流れるエネルギーのようなもの

命の流れに関係するもの

 

 

などになるが、冷静に見ればそれさえも今まで得た情報によるものが大きい。

その何だかわからないけど存在するだろうと言えるものについて情報を知り、

その感覚を感じたり、自分が解釈するようになったと言える。

 

 

各個人によって「魂」の概念は違うだろうが、

 

では、その「魂」という言葉がなく、それについて教えてくれる者も、

物質(本、ネット、情報)もないところで、人は「魂」という概念を見つけるだろうか?

 

 

 

「魂」という概念が受け継がれる不思議

 

私達が魂という言葉や認識を持っているのは、

つまり過去から繋がってきたものということだ。

 

 

そこに不思議がある。

 

見えなくともこの認識は歴史上繋がってきた。

 

 

それが確かだという証拠を万人が知っているかというとそうではない。

例えば私はその証拠を見たことがない。

 

 

ただ、情報を見て、直観や感覚で本当だと思ったりする。

私が見つけ出した言葉ではない。

 

誰かの言葉を私という思考(脳)がそう判断したに過ぎない。

 

 

さて、またここで矛盾が生じる。

 

 

ある情報を正しいと判断する人もいれば、そうでない人もいる。

私がそうだと思ったことを納得しない人もいる。

 

 

どちらが正しいか?本当に存在するか?

 

 

多数決で答えは出ない。

 

本人が感覚して証明できれば変わるか?

というとそうでもない。

 

 

なぜなら感覚しても、「それ」が誰かが言う「それ」と同じとは限らないからだ。

 

感覚しても人によって表現の仕方が違うのと同じで、

絶対的なものは何とは「人」が判断できるかどうか。

 

人の考えを寄せ集めて「それ」を認識し名前を付けたとしたら、

そこで「それ」の認識は固まってしまう。

 

 

新しい「それ」の見方はある種封印される。

 

 

そこにりんごがある。

 

赤い、おいしい、丸い、木の実だ、みずみずしい、甘い、新しい

 

 

りんごという認識と、りんごに対する認識。

 

 

これらモノに名前を付けてきた先人たちというのは偉大だ。

 

しかし、同時に新しい認識(見方)を制限することもある。

 

 

模写するとき、初めてみたもののように描く。

人でも物でも紙の上と私の思考の中ではモノになる。

 

 

それが描かれたものを見ると、人はこれは「何か」だと定義する。

 

 

人はカタチと言葉と認識に支配されている。

とも考えられるわけだ。

 

 

魂とは何か?

 

 

あなたが考える魂とはあなたの中で「生まれた」のか

誰かや何かから情報を得て変化」したものなのか

誰かの「情報をそのまま受け入れているのか

 

 

どんなものだろうか。

 

 

 

明歴歴露堂堂