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感覚と印象で作られる世界「ケーキはフォークかスプーンか?」

こんにちは、あんのれいです。

今回は日常で使うスプーンとフォーク、食器という括りの中で違う役割を持つものについて考えてみる。
それは世界のルールやマナー、習慣と慣習に繋がる。

宇宙のニュートラルはどこだろう?

目次

ケーキはフォークかスプーンか?

ケーキはフォークかスプーンか?

恐らく日本人はフォークが先に浮かんでくる。
しかし、フランスで違和感を感じたのは、スプーンでケーキを食べるということ。
家庭やお店で違うだろうが、スプーンで三角に切られたケーキを食べるということがどうしても気になった。

今までの価値観をゆすぶる感覚だ。

私には、「ケーキをフォークで食べる」という感覚が身についていた。
人間はこうして自分の慣習を「定義」している。

しかし、プリンではその定義が変わり、スプーンを使って食べる。
フォークではうまくつかめないのもあるが、プリンがボロボロするのはおいしさ半減だ。

逆にスプーンで食べるケーキは違和感があってケーキに集中できない。

これらは個人の感覚(定義)であって、1つの答えはない。

機能と感覚と印象

何で食べてもいいが、世界にはマナーとルールがある。
それらは短くも長くもある歴史に染みついた。

それが正解であるか不正解であるかはルールの中にある。

そもそも日本にはお箸しかなかった。
それが今ではカラトリーというものに溢れている。

食卓に並ぶ食べものが限られれば、あらゆる機能のカラトリーは必要ない。

多くの選択肢がある中であなたが選ぶ食器は、
どんな料理に向くかという「機能」
誰かの好みのデザインやカタチの「感覚」と「印象」
で選ばれて食卓に並ぶ。

かつ丼とスプーン

お店でスプーンを頼み、かつ丼を食べる人を始めて見た時、感覚が刺激された。
正直その方が食べやすいと思う。
一方でそれを邪道とみる人もいる。
それは各個人の「感覚」と「印象」でしかない。
機能で言えば、ご飯を綺麗に且つ簡単に器から取ることができる。


木、プラスチック、ステンレスのスプーン

個人的にスプーンというものが好きで、カタチを見るのが好きで、これで食べたらおいしいだろうといつも感じている。

そのカタチもそうだが、材質によっても変わる。

例えば高級なアイスを、スーパーにある平たい木のスプーンで食べるか、プラスチック製のものか、デザインの凝ったステンレスのもので食べるかで大きく「印象」は変わる。

というのも私の中ではであって、全く気にしない人もいる。
アイスという中身は同じだ。

材質にもよって変化する人間の「感覚」。


歴史の
誰かの、集団の
感覚がマナーやルール、習慣や慣習になっている。


あらゆる価値観が多様性と呼ばれる。
人間の、地球の、宇宙のニュートラルはどこだろう?


スプーンはどんな食べ物に使うか?
ケーキはフォークかスプーンか?

私の定義はどちらで食べた方が感じがいいか、ということになる。


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