進むAI技術
進む個人主義
待ち時間はスマホ
食事時間はスマホ
通勤通学はスマホ
スマホのおかげでいつでも「退屈」しない
ぼーっとすることは科学的に人間に良いという研究結果がある。
このぼーっとすることをカタカナで表すと、
デフォルトモードネットワークと言うことができる。
出た、カタカナ。
ぼーっとするのままでいい。
とにかく、現代はこのぼーっとする時間は少なくなった言える。
そしてわざわざぼーっとする時間を作る時代になった。
ぼーっとカフェなるものを作ったら良いかもしれない。
予定通りにいかない通勤
例えば、あなたが電車通勤だったとする。
帰りの電車の中ですることを朝から決めているとする。
本を読むとか、調べなければいけないものをスマホで検索するとか。
けれど、人と一緒に電車に乗ることになり予定通りにいかないとする。
あなたはどうするだろうか。
一緒電車に乗ることをはじめから避けるか、やりたいことがあるからと会話を拒むか、流れに任せて会話をするか。(嫌いな相手なら状況は変わるかもしれない)
10分かもしれないし、30分かもしれない。
一緒にいる間会話が途切れないように気を遣うかもしれない。
これが家族や近しい人なら互いにスマホを使って過ごすことが多いと予想できる。
最近では開いてがいるときにスマホを使うことを断ることは少ないだろう。
スマホのないたった数十分、この時間がスマホを知った現代人には長いのだ。
有効活用しようとした時間かもしれない。
しかし、この時間はあなたの人間が試されるまたは進歩する時間かもしれない。
自分の脳と顔の筋肉を使って話すことは、実体験であり、新鮮だ。
特にスマホを使うことに慣れた脳には新鮮だろう。
プラスマイナス0
人は人によって怒り、悲しみ、また癒され、励まされる。
プラスマイナスゼロのようで、そうではない。
物ごころついたときからプラマイゼロなら何も疲れない。
ゼロということは何も起こさなければいい。
何も起こらなければ平静でいられるし、心は煩わせられない。
ではこの世界に人間がいる意味があるかなどと考えていた。
人間は、人間の活動は、プラマイゼロにはならないのかもしれない、とふと思った。
不思議なことに、見知らぬ人のたった一言でどん底に落ちた自分が救い出だされる、そんなことがよくある。
人間というものに疑問を抱くが、同時に人間が人間のために努力する姿や感動する姿がこんなにも美しいのかと自分の中に熱を感じる。
人間とは不思議だ。
そんな人間と話す機会がスマホによって自動的に減っている。
お店では機械自動化され、人がいても個人主義で会話がない。
ただ人と話すのが嫌で、人と話すことに慣れず、会話がない。
出かけても人と話すことなく一日の生活を完結することができる社会。
これは危険の印だ。
どんな会話ではなく、あなたが人間だということ
予定していた帰りの電車。
いつもとは違って一緒に帰る人がいる。
あなたはどうするだろう。
とりとめのない話では満足しないだろうか。
では満足する話とは何だろうか。
あなたがしたい話をすることだろうか。
お互いが話せる話題だろうか。
笑顔がたくさんある話だろうか。
見ず知らずの人と少し話しただけで心が満たされる時がある。
そんな力がなくとも、人と人が面と向かって話すというのは氣や力が動くものだと思う。
これが人間の不思議だ。
自分の身体を使って話すこと。
相手が自分の会話に返事をすること。
ここに力が生じる。
それが良いか悪いかはあなたの感性であって宇宙ではない。
成功でも失敗でも、この力、エネルギーが生まれ、それを感じる自分がいることが重要だ。
ただ、誰かと話すこと。
ぼーっとすることとは正反対ではあるが、スマホを使い続ける現代人にとっては「でふぉると・もーど・ねっとわーく」に通じると感じる。
10代の頃、誰とも話さずに自己完結しようと閉じこもっていた自分がこんな風に思うようになるとは不思議なものだ。
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