自分という思考回路の源、自分が作り出す見方の元を考える

 

考え方は人によって変化する。

 

環境によって変化する。

 

では何が人間という生き物としてニュートラルな考えになるだろうか?

 

個人の思考回路の源は何か。

環境、年齢、個性。

 

それらを全部なくしたらどんな思考が現れるか?

 

一切唯心造 いっさいゆいしんぞう

清も濁もすべては人がつくりだすもの

 

 

 

有名人

彼らの情報はたくさんあり、知りたいと思わずとも彼らの情報は入ってくる。

興味があるなら尚更だ。

 

では初めて本物に会う機会があるとする。

話をしてどんな人物だと思うか。

情報通りか、好印象か、イメージと違うか、

全てを知ることはできないだろうが、個人の中で印象やイメージができる。

 

かつ情報が元からあるものだから、その情報と比較してその人物を判断しようとする。

 

 

犯罪者

聞いただけで、個人の中で悪という観念が大体思い浮かんでいる。

何をしたにしても罪と決められれば悪となる。

 

社会がそういう仕組みである。

 

では個人の思考の中ではどうか?

 

罪によって重い軽いという判断があるという矛盾。

悲しみや行為の度合いで決まるもの?

 

あるいは1つ罪を犯せば何回でも同じだという考え。

 

生きるために犯す罪。

 

人が決めたから罰せられる。それをまた人が受け入れている。

人間社会の罪の共通認識だ。

 

 

犯罪者というレッテルを貼られた人物に会うとする。

人となりを個人でどう判断するか。

 

 

有名人、犯罪者、どちらも情報を知ってから会うので、

大体はその情報がこれから考えることに対して影響を与える。

 

近所でも家族でも友達でも、

誰かにとっては善でまた誰かにとっては悪である場合がある。

 

人の考えによってその人の印象が変わる。

ではその人とは一体何か。

 

考える人がいることによって価値や認識が生まれる。

 

 

 

自分というものの思考回路

 

誰もが個人ではあるが、団体にするとまたその個性が出てくる。

 

年齢、都道府県、国、宗教、民族、歴史。

 

さて、そうすると思考に偏りが出てくる。

個人で思っていることが、集団で思っていることとイコールになるということだろうか。

 

 

個人の思考=集団の思考?

 

 

自分(個人)の思考はどう作られたか?どう機能するか?

 

自分の中にフィルタや自動思考機なるものができている。

子どもであれば形成中だ。

 

環境によって変わる思考回路。

 

何を聞いて見て触れて育ったか。

 

例えば

 

子どもであればヒーローやプリンセスで盛り上がる共通認識。

 

大人であればエンターテイメントで盛り上がる共通認識。

 

知らなければ話は盛り上がらないという環境。

 

 

人の考え方

 

何が正しいか。

 

ということよりも、何を選択するか。

 

その結果が善か悪かは、人が決める。

 

本当か嘘か、それもまた人が決める。

 

 

それらに属さないものが「真理」だと認識する。

 

そしてその真理はあらゆるところにある。