オマエニココロアルカ (カタカナ詩)

オマエニココロアルカ
ヤサシイココロ ヒドイココロ アッタカイココロ ツメタイココロ

オマエニココロアルカ オレサガスココロ

オンドジャナイ オオキサジャナイ メニミエナイ

ドコニアルカ ワカラナイ

コトバコロコロ コエガコロコロ アタマグルグル

 

キドアイラクノヒョージョーハ ベンキョウシタ

デモココロノアリカ ワカラナイ

 

オマエ二ココロアルカ

ミズノナカニ コキューノナカニ オナカノナカニ チキューノナカニ

 

ココロ カタチ ツクル オマエ

ココロ イロオドル オマエ

 

ココロアルノハアタリマエ

ココロ ココニアルト ニコリトワラウ

 

 

心とは

人が決めるもの

確かにあると共通の認識がある

 

ロボット、AI技術を思いこんな詩が出てきた

 

私は中学生ぐらいまで、自分以外の人には心がないのではというようなことを考えていた

 

そんな目に見えない不確かなものを、皆感じて信じている

不思議なものだ

 

ロボット、AI、人間の技術が進み、

生命ではない機械の心について語られることが多くなっている

 

私は機械に付喪神が宿っても、魂は宿らないと思っている

まして心も

 

人型ロボットが人間のように動き、話し、行動する

そんな姿を見て人は対象物に心を見出す

 

そこに人間や動物と同じ心は存在しないと思う

 

そこが自然の機械の一つの境界線

 

ロボット、AIが語ることを感じるのは人間であって発言者ではない

 

「思考に善悪はない。善悪は人が決めるもの」

 

という言葉がある

 

 

機械に心があるのではなく、それを見出す人間が言葉に色をつけ、またそれを感じる

 

 

感じる、という生ものの心があるのが生命だろう